2008年度第27回全国城下町シンポジウム唐津大会の告知&紹介です

第27回全国城下町シンポジウム唐津大会
http://zenjyo08.blog15.fc2.com/

企画書・登録書類

ここより大会資料をダウンロードできます。大会登録は全国城下町青年会議所連絡協議会加盟青年会議所のみ可能です。
2008年度大会企画書
2008年度大会登録書

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6月7日イベント告知

















Profile


全国城下町シンポジウム実行委員会より大会の詳細をご報告します。
開催地:佐賀県唐津市
開催日:2008/6/6〜8

事務局住所
佐賀県唐津市南城内2-6
電話:0955-73-7205
Fax:0955-73-8119
Mail:jc228@po1.people-i.ne.jp

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動画で見る唐津市(YouTube&Wikipedia)

2008/01/14 03:28|唐津のご紹介
様々な動画で唐津市をご紹介していきます。この動画は動画サイトYouTubeにてアップロードされた動画及びWikipediaの情報を元にお伝えしています。使用に際し、不適切なものなどがございましたら、管理者までご一報下さい。お詫びして修正させていただきます。
(文章は全てWikipediaよりの抜粋)

◆唐津市とは?佐賀県唐津市のご紹介◆


唐津市(からつし)は、佐賀県の北西に位置する都市。佐賀県北部の中心的役割を担っており、日本三大松原の一つ虹の松原や、日本最古の水田稲作跡が見つかった菜畑遺跡、唐津神社の秋季例祭唐津くんちなどで知られる。市全域が福岡都市広域圏、浜玉地区が福岡都市圏の都市圏に入っており、福岡方面へ通勤・通学をする市民が多く存在する。


唐津はその名が示唆するように、中国大陸(唐)に通じる港町(津)として早くから開けていた土地である。古くは、日本で水稲耕作が初めて行われた縄文晩期後半の菜畑遺跡があり、また、3世紀には魏志倭人伝末廬国として記録され、万葉集には鏡山、玉島川、松浦川の情景が詠まれている。律令制では現在の市全域が肥前国の一部となる。1591年天正19年)に市北部の海岸部(旧鎮西町域)に名護屋城が築城され、翌年から豊臣秀吉により行われた朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点となった。そのさなかの1593年(文禄2年)に寺沢広高唐津藩を開いて統治を始め、1602年慶長7年)から名護屋城に代わり現在の唐津市中心部にあたる地域に唐津城を築城し、以後は唐津城を中心にした城下町が形成されていくことになる。唐津藩は藩主家の交代が何回か行われており、歴代藩主の中にはのちに天保の改革で名を知られた水野忠邦も含まれる。なお1966年に唐津城の天守閣が再建されている。

明治時代以降、現在の市域内の各地で石炭が発見され、唐津炭田と呼ばれる産炭地となり第二次世界大戦後まで繁栄を続けたが、1960年代以降、エネルギー事情の変化により炭鉱はすべて閉山した。



◆鏡山中腹からの景色 ◆


頂上は平坦な地形のため、遠景は台形の山で、虹の松原と並んで、唐津市のシンボル的な場所の1つである。

山麓から頂上へは、自動車道路のほか、3つの遊歩道がある。近年、有志により登山用の階段も整備された。自動車では登山口から10分、徒歩では30分から60分ほどで山頂に到達する。


頂上には展望台があり、眼下に広がる虹ノ松原や、唐津湾とそこに浮かぶ高島鳥島神集島などの島々、さらに福岡県姫島、烏帽子島、小呂島、天気がよければ長崎県壱岐なども望め、このほかに唐津城、市街地、農耕地が織り成す絶景を一望することができる。ふもとのレンゲ畑や水田は春から秋にかけて美しい所であったが、ジャスコ唐津店の進出を始め、国道202号バイパス沿いの開発により、景観が失われつつある。

また頂上には鏡山神社、電波塔、ハンググライダーのための斜面もある。山頂の池では、売店で購入したポップコーンなどを鯉にあげる市民の姿も見られる。5月には、つつじが満開となり、その景観を楽しめる。

鏡山の名前は、神功皇后が山頂にを祀ったことに由来するといわれている。また、松浦佐用姫(まつらさよひめ)が山頂から大伴狭手彦の船を見送ったという伝説の地であり、佐用姫がそでにつけていた領巾(ひれ)を振りながら見送ったということから、領巾振山(ひれふりやま)の別名でも呼ばれる。



◆日本三大松原 虹ノ松原◆


虹の松原(にじのまつばら)は、佐賀県唐津市唐津湾沿岸に広がる松原日本三大松原のひとつで特別名勝に指定され、日本の白砂青松100選日本の渚百選にも選ばれている。玄海国定公園の一部。長さ約5kmにわたって弧状にクロマツの林が続く。海水浴場と隣接することでも知られる。


17世紀のはじめ、唐津藩藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、防風林、防砂林として植樹を行った。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易や移封により主家が変わっても手厚く管理された。

寺沢広高は、この中に自分が愛してやまない松が7本だけあると言ったというが、どの松と指定されてはいない。これは住民に「もし自分が粗末にした松がその7本のどれかだったら」と思わせることで、全ての松を大事にせざるを得ないように、心理的に圧力をかけたものといわれている。

この松原は、その区域の長さから、藩政時代は「二里松原」と呼ばれていた。明治時代に呼ばれるようになった「虹の松原」の語源とも言われているが、呼称が変わった理由などは知られていない。

1771年には、当時天領となっていたことから、農民の反乱である「松原寄り(虹の松原一揆)」の舞台ともなっている。

明治維新以降は国有林に編入、2007年現在は、佐賀森林管理署が管理を行っている。民有地が僅かに点在するものの、ほぼ全域が保安林に指定されており、現在も伐採は制限を受けている。



◆唐津のお祭り【唐津くんち】◆


唐津くんち(からつくんち)は、佐賀県唐津市にある唐津神社の秋季例大祭である。「の一閑張り」という手の込んだ技法で製作された巨大な「曳山」(「ひきやま」または「ヤマ」と読ませる)が、太鼓・鉦(かね)の囃子にあわせた曳子(ひきこ)たちの「エンヤ、エンヤ」「ヨイサ、ヨイサ」の掛け声とともに、旧城下町を練り歩く。ちなみに「ヨイサ」の掛け声は4番曳山及び14番曳山のみ使われる。

現在は毎年11月2日夜の「宵曳山(よいやま)」に始まり、11月3日には神輿と曳山が御旅所に向かう「御旅所神幸(おたびしょしんこう)」、11月4日には神輿は加わらずに曳山だけが町内を巡行する「町廻り(まちまわり)」というスケジュールで営まれている。

祭り期間中の人出は50万人を越えるともいわれ、福岡市櫛田神社の「博多おくんち」、長崎市諏訪神社の「長崎くんち」とともに「日本三大くんち」の一つに数えられている。昭和33年(1958年)に曳山14台が佐賀県の重要有形民俗文化財に、さらに昭和55年(1980年)には「唐津くんちの曳山行事」が国の重要無形民俗文化財に指定された。世界的にも類を見ない豪華な漆の工芸品の曳山は、現代の制作費に換算すると1〜2億円すると言われ、九州はおろか日本を代表する祭りとして世界中から注目されている。



◆唐津のおいしいもののご紹介◆
スカイパーフェクTVにてご紹介されています。

日本居酒屋紀行ファイナル




◆唐津はサーフィンのメッカでもあります◆




◆2009年はヨットの世界大会が開かれます◆




◆自然を生かしたモータースポーツ◆
全日本ラリー選手権第1戦 ツールド・九州 2007 in 唐津(レース結果




◆唐津城を舞台に学生がドラマを製作◆



佐賀ミニシアターコンテスト優秀賞受賞作
唐津の中学生が唐津を舞台に作製したビデオです。



◆唐津を舞台にPVも作製されています◆
アマチュアミュージシャンによる自主作製プロモーションビデオです。


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